「子宮頸管無力症」って知ってますか?
私は妊娠中に子宮頸管無力症と診断されました。
子宮頸管無力症の体験記をシリーズで書いています。
今回は一人目の妊娠から出産まで、私の体験したことを時系列に沿ってお話しします。
一人目は28週で子宮頸管無力症と診断され、シロッカー手術のあと入院、自宅で二ヶ月安静、38週で出産に至っています。
かなり長くなりますが、よろしければおつきあいください。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
妊娠初期、切迫流産
妊娠判明、出血
妊娠4週と数日で、妊娠判明。妊娠を希望していたので、めっちゃうれしかったです。
この頃は働いていたので、帰宅が夜遅く、平日に病院には行けませんでした。
土曜日の朝一で病院に行こう、と思ってたら、木曜日の夜。
出血。ヒィっ。
すぐにでも病院に行きたいところでしたが、ここは出張先のホテル・・・。
同僚の運転でド田舎まで来ているため、電車で帰ったりできないし、しかもまだ妊娠してるとか言えず。
次の日の仕事が終わって職場に戻り、定時で即帰宅。(でも家が職場から遠いから、病院が開いてる時間には間に合わない)
病院の初診
今回はダメかもしれないと考えながら迎えた土曜日。朝一で病院へ。
赤ちゃん、生きてました!
出血=流産?かと思ってたので一安心。
でも、もちろん出血しているのは良いことではないということでした。
安静に過ごすように言われ、仕事内容や通勤時間(通勤に2時間以上かかる)のことを話すと、笑われました。
「休むか勤務地を変えてもらうかどっちかにしてください」
そんな簡単に言うけどこれは・・・と思いつつ、休むには診断書がいるだろうと思ったので、念のため診断書を書いてもらい、中身を確認。
「切迫流産」と書いてありました。
会社を休職
とりあえず上司に電話。出ない。もっと上の人に電話。出た。
ひとまずは休職にできるから、ということで休職生活が始まりました。
でもこの休職は4週間しかできません。診断書には4週間の安静が必要って書いてあるから。
ここから、会社とお医者の板挟み。
会社「診断書に書いてある期間しか休めません」
医者「診断書は一度に長くて4週間までしか書けなくて、4週間後出血が止まって何の症状もない状態だと延長しては書けないよ。
だけど、再び長い時間かけて毎日出勤したら、また出血がある可能性がある。出勤するのはやめといた方が良い。出勤したいんだったら勤務地を近くに変えてもらって」
会社「そんなことで勤務地の変更なんかできません。でも出勤して何かあったら困るから、診断書もらってきて」
→つまり仕事辞める以外の選択肢がなくなりますよね。
世の中って自分の都合ばっかりで、妊婦に優しくないんだなと実感する出来事でした。
この辺は、担当のお医者さんと、自分の会社の方針とかによる部分が大きいと思います。
私は会社やめようと思ってましたが、当時の上司が割といい人だったので何とかしてくれようとしていて、
私も母性健康管理指導事項連絡カードを病院側に頼み込んで書いてもらったり(めっちゃうっとうしがられてた)、有給を使いまくったりして(ちょうど年度またぎで有給が増えた)、何とか会社を辞めることなく産休にたどり着きました。
結局出血は、会社を休んだから止まったわけでもなく、しばらくだらだら続きました。
安静って本当に暇。とにかく眠くなるので寝るか、食べづわりだったので食べまくってるかの二択で過ごしました。
妊娠4ヶ月ぐらいに、ようやく出血がとまり、つわりもなくなりました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
妊娠中期、安定期?
世間的には安定期と呼ばれる時期に突入。
この頃は体の調子も良かったので、一日中家にいるのも暇だし、妊娠雑誌にも散歩して体力つけましょうと書いてあるし、と近所を散歩したりしてました。
この後、子宮頸管無力症と診断されるなんてもちろん知らないので、散歩が果たして本当に良かったのかは謎です。
ただ、出産準備に関わるもののほとんどは、この頃に買いそろえられたので良かったです。ネットじゃなくて実物見て買いたいもんね。
ちょうど増税の時期だったこともあり、増税前に全部買っておこうと、いるものは早めに購入してました。
でもひとつ不満が。
ベビーカーとかチャイルドシートといった大物の類いは、旦那の親が一緒に買いに行きたいと言ってるから、と自力で買わせてもらえませんでした。
結局私が安静生活に突入したので、一緒に買いに行くことはなく終わりましたけどね。税金もね、8%払ってネットでポチる羽目になりましたよ。
この間、病院で内診をすることはありませんでした。
赤ちゃんは順調に大きくなっていたので、順調と言われていました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
転院前に、頸管が短いことが発覚
妊娠7ヶ月、2回目の健診
旦那の仕事の都合で遠方に引っ越すことが決まっていたので、事前に紹介状を書いて欲しい旨を伝えて健診を受けました。
おそらく紹介状に書くために、たまたま一応内診したんだと思います。
そしたらまあなんと、頸管長が2cmに届かないぐらいだったんです。
この時期、普通は3~4cmないとダメなんだよ、この長さは臨月の人の長さだと医師に言われました。
そして張り止めを処方され、家で絶対安静にして、一週間後にもう一度来るように告げられました。
この時点では、子宮頸管無力症とは言われていません。
この医師は、私が妊婦なのに引っ越しの作業を長時間して、おなかが張っていたから短くなったんだ、とこちらの話を全く聞かずに決めつけていました。
実際はあんまり何もしていないし、おなかはたまに張ることもあるけど、それは普通のことのようだったので気にしていませんでした。
健診後の安静生活
地獄の一週間。
張り止めは副作用で脈がものすごく速くなるんですよね。はじめの2日間ぐらいはほとんど眠れませんでした。
ストレスを溜めるとおなかが張りやすくなるという情報だったので、極力リラックスして過ごそうとしましたが、まあ無理です。
ものすごーく不安な日々を過ごしつつ、1日に何回おなかが張るかカウントしていたら、1日多くて5回ぐらいでした。
一週間後の再診
一週間後病院で、NST(ノンストレステスト)を受けました。ベッドの横たわっておなかに機械を巻いて、おなかの張りと赤ちゃんの心音と動きをはかるものです。
ノンストレスといいますが、私にはものすごくストレスでした。
20分つけていて、おなかの張りは一度もなし。これぐらい巻いていて張らなければ、普通だというのが助産師さんの話でした。
このときに、おなかが張るのは1日に多くて5回ぐらいだということを、助産師さんに伝えると、はいはい、そんなものね、という感じでした。
しかしながら、この結果と私の話を聞いて、医師は激怒。
おなかがすごく張ってる!引っ越しなんかやめろ!でも入院するようなことじゃない!どうにかしろ!
はい、めちゃくちゃです。
こういう産婦人科には行かないことをおすすめします。
あとでここの病院の口コミを見たら、「何の問題もない妊婦以外には強く当たってくる。別の病院に変えたら全然違う診断を受けた」と書いている人が。
なるほど。その通り。
とにかくこの病院はもうダメだと見切りをつけ、どこでもいいから紹介状を書いてくれと言って紹介状をもらい、転院することにしました。
今思えば、安静にしている間に、紹介状がいらないセカンドオピニオンを受け付けている病院に行ってみるべきでした。
医者が信用できないと思ったら、病院を変える勇気を持つことも大切だと感じました。
何があっても自己責任。
そもそも妊娠中は、今まで何もなかった人だって、突然何かあることもあるんだから、と腹をくくって次の日引っ越しました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
転院先で、子宮頸管無力症と診断される
引っ越して即、病院へ。
事情を説明してここでもNST。このときは一回おなかが張りましたが、この週数だと普通だと医師にも助産師さんにも言われました。
赤ちゃんはいたって健康、じゃあ内診ね、ということで頸管長をチェックすると、やっぱり短い。
こちらの医師は、おなかが特別張っているわけではなく、おなかの張りが原因ではない、との判断でした。
何か菌に感染しているかもしれないからと、すぐに検査結果が出るキットで検査。結果は陰性。
「子宮頸管無力症かもしれない」
ここで初めて診断を受けました。原因が分かって、だいぶほっとしたのを覚えています。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
手術、子宮頸管縫縮術(シロッカー)
その場で、今日、即手術をするか(手術をできる医師の勤務がその日の後しばらくない、そろそろ手術できない週数になるため)、生まれてもいい週数になるまで入院するか、どっちにするか選択を迫られました。
手術をすれば帰れる可能性があったので、迷わず手術を希望しました。
私が受けたのは子宮頸管縫縮術の、シロッカーと呼ばれる手法のもの。もう一個マクドナルドというのがあるんですが、この辺の説明は置いておきます。
両方とも、子宮頸管をテープで縛って、物理的に赤ちゃんが出てこないようにする手術な事には違いないです。
すぐに病室に通されて手術の準備。血管が細いので点滴の針が刺さらなくて刺し直しまくったり、毛を刈り取られたり、手術着に着替えて準備完了!
車いすで手術室まで運ばれました。
手術台に横たわって血圧を測る機械を腕に巻かれました。
そしてまさかの真っ裸。
一応上にかけてはくれたけど・・・こういうもんなのねと思いました。子供の命がかかってるので、そんなに気になりませんでした。
手術台の上に寝っ転がり、左向きになって身体を丸めて腰を突き出した状態をキープ。
そこに麻酔の針がブス!っっっっと来たんですけど、身体を引いてしまいまして。
「動くと変なところに針が刺さって危ないから、動かないで!」って言われたんですけど、見えないところから来るので、針が当たると反射で動いちゃうんですよね。
いっそのこと羽交い締めにして動けないようにしてくれ!と思いましたが、何とか2回目のチャレンジで成功しました。
そこから結構すぐに足がしびれてきて、しびれてきたことを確認されました。
でもまだ感覚は結構残ってるので、もうちょいしてから開始かなーなんて思ってたら、手術始まりました!
え!もう!?大丈夫!?な状態なのは私一人。
ちなみに麻酔は下半身だけなので、普通に意識あります。
着々と手術は進み(その間に麻酔も効いてきた)、あっさり終わりました。
「よし、成功。10分○○秒」と最後に言ってたので、手術時間はだいたい10分ぐらいだったみたいです。
その後、服を着せてもらってストレッチャーに乗せられて、病室に帰りました。
病室に帰った後は、下半身が動かないので寝返りできず、尾てい骨がめっちゃ痛かったです。
そしてなんか異様に暑かった。別に部屋が暑かったわけではないです。身体の奥底から燃えてる感じでした。
ここから入院生活スタートです。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
シロッカー手術後の入院生活
麻酔は数時間で切れ(何時間ぐらいだったかは忘れました、すいません)、次の日から離乳食的なのを食べることができました。その後、段階的に普通の食事になりました。
入院はだいたい一週間と聞かされていました。
最初の2日間ぐらいは助産師さんも割と頻繁にやってきて、いろいろチェックしたりNSTしたりあったんですけど、そのうち訪ねてくる回数も減り暇に・・・。
いいんですけどね、特に問題ないって事で。個室しかない病院だったので、気は楽だけど本当にふたりぼっち。
ちなみに私はシャワーオッケーだったので、シャワーだけが毎日の楽しみ。
入るたびに点滴の針の上からサランラップぐるぐる巻きにされて、服も脱ぎ着させてもらわないといけなかったけど。気分が変わるのは良いことでした。
一週間後、子宮頸管は入院時の長さを維持したままでした。退院できるものだと思っていたら、驚きの発言が。
「このまま入院してても良いし、退院してもいい」
「入院しているから絶対大丈夫ということもないし、退院したから37週までもたないというわけでもない」
「自分で好きな方にして」
「・・・退院します」
本当は入院したままの方が良かったのかもしれないけど、この頃はかなり精神的に参っていて、一刻も早く家に帰りたかった(数分しか住んでない家だけど)。
点滴を抜いたら張りかえしがあるので(点滴の中身は張り止め)、それが落ち着かないようだったら点滴に逆戻りで臨月まで入院、張りが落ち着けば次の日帰宅。
無事に次の日帰宅しました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
シロッカー手術入院から退院後、安静生活
退院後はとにかく安静。
私と旦那の二人暮らしで、近所に親戚も知り合いもおらず誰にも頼れない。朝ご飯はふりかけご飯、昼ご飯は冷凍食品、晩ご飯はコンビニ弁当でした。
それでもやっぱりストレスが軽減されたのか、病院にいる頃よりおなかの張りは少なくなりました。1日数回だったはず。
ひたすらベッドで横になって、朝から晩までテレビ見てました。おかげで昼ドラのドロドロ具合がよくわかりました。今は昼ドラってもうないんですよね。あり得ない展開が現実味がなくて、意外とおもしろかったので残念。
あとは漫画読んでましたね。本の類いを横向きの体勢で読もうとすると、閉じられている部分あたりがすごく読みにくいので、絵だけ読んでも何とかなる漫画が最適でした。
文庫本だと真ん中部分だけ読めなくてイライラするので。
最終的には右手だけ腱鞘炎みたいになりました。おなかに負担をかけまいと、手が頑張りすぎました。
外出はもちろん健診の日だけでした。
旦那は安静妊婦に対する気遣いはほとんどなく、ちょっと何かして欲しいってことを言うと、自分はこんなに頑張っているのに、みたいな小言を言われました。
自由に動けたら自分でやるよ。できないから言ってるんだよ。私だって安静を頑張ってるんだよ。
これで旦那への信頼はかなりなくなりましたね。今もそんなに回復はしていません。
生まれてからも特に態度は変わらなかったので、私と子供のことは私がやる。旦那なんかあてにならないと思ってます。
妊娠中の恨みは一生ものですよ!
ひたすら時間が過ぎるのを待つしかなく、かなりしんどい毎日でした。
頸管は徐々に短くなっていきましたが、おなかの張りがそんなに増えなかったので、自宅安静のまま37週に突入!
ホッと胸をなで下ろしました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
いよいよシロッカー抜糸~出産前
「よくここまで耐えたね!さあ糸を抜こう!」
普通の健診の後、普通に外来の内診室で抜糸が始まりました。
私の事前のネット調査では、抜糸はかなり痛いらしい、ということが判明していました。
実際どうだったかというと・・・
!!これは!!!
予想通りめっちゃ痛い!!!!!
「力抜いて!力入れるとこっちも力入れないといけなくなって、力の戦いになるから!」
「何か違うことを考えて!」
無ー理ー!!!!
助産師さんに足をさすられまくりました。
バチーンと音がして、「抜けたよー、糸見る?」と言われたので、「あ、はい」と、糸を見せてもらいました。
糸というかテープ。なかなか幅がある。2ヶ月間守ってくれてありがとう、と感謝しました。
そしてもう一回内診。
「子宮口3~4cmあいてるね、縛ってて良かったね」
そんなにあいてて大丈夫か!?と思っていたら、
「陣痛来ないと生まれないから。陣痛来るか破水したら電話して」
あっさり帰されました。
次の日、旦那が自力で買えないから、と買ってくれなかった、おむつやベビーカー類を自分で買いに行きました。
久しぶりの自由な時間だったんですが、長い間安静にしていたから、歩くのがしんどい。座ってるのもしんどい。足もむくんでパンパン。
結局横になって過ごしてる時間が長かったです。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
出産
そして抜糸から5日後。
なんかおりものが水っぽいことが気になり、少々様子見。
時間が経っても、そんなに出てはないけど、やっぱり気になるので病院へ。
破水かどうかチェックするシート?みたいなのでチェックして、破水と判明。
そのまま入院しました。
入院したのは夜だったんですけど、そのまま陣痛が来るのを待って、朝になっても来なかったら促進剤を使いましょうと説明されました。
破水している=外の世界と通じちゃってるから、感染とかを防ぐために、ある程度の時間で産んじゃわないといけないんですよね。ちなみに子宮口の開き具合は、退院したときと同じでした。
説明してくれた助産師さん、全然緊迫感がなくて、旦那は帰されました。
これって夜の間に陣痛来る可能性は低いのではないか?と思っていたら、案の定。
朝になりました。
さすがにほとんど眠れませんでした。ちょいちょい助産師さんが確認に来るしね。
朝の内診でも全然状況が変わってないので(相変わらず羊水もほとんど出てないし)、点滴で促進剤スタート。
10分ぐらい?で効果が現れ始め、ガンガン陣痛が来るように。
陣痛促進剤の効き具合って個人差がかなりあるらしいです。あんまり効かないかも、と言われていましたが、私には驚くほどよく効きました。
これだけ陣痛が来てるから、促進剤を止めるのかと思いきや、どんどん増やされました。
子宮口もガンガン開いて、促進剤を入れ始めて3時間ぐらいで、無事生まれました。
産み終わった後、促進剤はまだ点滴の袋の中にいっぱい残ってました。
子宮頸管無力症の妊娠と出産。~一人目~
まとめ
私は何とか正期産まで持ちこたえましたが、違う結果になってしまう方もいらっしゃいます。
でも、それは自分があの時ああしたから、こうしたから、ということは関係ないことも多いと思います。
安静にしているとどうしてもいろいろ考えて、自分を責めてしまうんですけどね。人にもいろいろ言われたりするしね。
これは私という一個人の話であって、出てくる登場人物(医師や助産師、旦那、親など)によって状況や判断も変わってくると思うので、無事出産するにあたって、これが正しかったんだ!というわけではありません。
こんな人もいるんだ、という一例として、誰かの励みになれればうれしいです。
子宮頸管無力症の体験に関連する記事は、「子宮頸管無力症、体験記。まとめ」にまとめていますので、よかったら見てみてくださいね!